東日本大震災について
進む復興,決して忘れないようにするために!
たくさんの方々のあたたかい支援を受けながら,震災に遭った場所の復興が進んでいます。私たちの教訓にするために,ここに紹介します。みやぎ東日本大震災津波伝承館の震災遺構や資料です。ここには,震災前に街がありました。保育所の跡です。
資料館の外は,震災復興公園として整備されています。
資料館の中には,津波に関係する資料が展示されています。
津波がくる前の石巻市。太平洋に面し北上川も流れる美しい街でした。
津波が来て,火災も起きたあとの石巻市。
津波に呑まれた電話や時計。
石巻市震災遺構門脇小学校〔かどのわきしょうがっこう〕です。2012年に被災したあとの門脇小学校を撮影し,紹介していましたが,現在は,石巻市震災遺構として整備されています。
体育館として使われていた内部には,津波で流され大破した,乗用車と消防自動車が展示されていました。津波の破壊力に絶句します。
震災の前後の様子。
学校の中は,地震後に流れてきた油による火災で,焼けただれています。
回収された,柱時計だそうです。
机と椅子。
電子ピアノ?と譜面台。
焼けただれた黒板。
泥をかぶったままのくつ箱。
これらの物を目の当たりにすると,言葉を失います。時間が止まったままのその日の恐ろしさを感じます。体育館内には,震災復興住宅とその内部が公開されています。
かつて,JR東日本気仙沼線の鉄道が通っていた大谷海岸駅は,JR高速バスの停留所として,道の駅を含めて,整備されました。〔アニメーション映画 『すずめの戸締まり』に登場しました。〕
女川駅も,ショッピングモール・シーパルピア女川とともにとてもきれいに整備されました。
復興が進んで,震災前の生活を少しずつ取り戻しています。しかし,その復興の前に,大きな大きな犠牲があったことを決して忘れてはいけないのです。
令和6年8月15日 情報教育担当撮影
決して忘れてはいけない出来事
西暦2011年,平成23年3月11日(金)午後2時46分に起きた,東日本大震災から10年以上経過しました。地震の記憶も少しずつ薄らいできています。『天災は忘れた頃にやってくる。』東京大学物理学部教授であった寺田寅彦先生の名言が頭をよぎります。
学校では,学級活動で地震からの避難の仕方を学習し,避難訓練も行っています。また,学級指導や理科,社会などで,防災教育も行っています。子どもを導く大人は,被災の可能性を確実に「意識」すること,「災害時はこうなる」という目を反らしてはいけない事実を知り,命最優先の迅速で的確な判断と指示を行うことが大切なことと考えています。東根市はとても災害の少ない暮らしやすい安全な土地です。また,海からも遠く津波とは無縁です。しかし,東根市が作成した「ハザード・マップ」には,白水川が氾濫した場合,大人の膝の高さまで浸水する可能性のある土地があることや,地震や大雨時に土砂災害が起こりやすい場所が学区内にあることを教えてくれています。東根市も災害とは無縁と言えないのです。災害から学ぶという気持ちを新たにするために,復興途中の被災地の様子を写真で紹介いたします。
東根市と友好都市関係を結んでいる,東松島市付近。
マリンピア松島〔当時〕の水槽〔右上〕。水槽には「ここまで津波が来ました」の表示が。
石巻市立門脇小学校。地震の後,火災の被害にも遭われました。
職員室内も,被災した日のままのようでした。児童は全員,校舎裏の高台に避難して無事でした。〔現在は石巻小学校と統合し閉校しています。〕
石ノ森萬画館も,旧北上川を逆流した津波によって被災しました。〔現在はリニューアルオープンしています。〕
石巻市立大川小学校の,地震と津波の被害の様子です。自衛隊のみなさんが,がれきを片付けてくださいました。当時在学中の108名の児童の3分の2にあたる74名と,教職員10名が犠牲になりました。グラウンドから避難しようとした北上川にかかる橋の左側三角地帯。
北上川を遡ってきた津波は,三角地帯に避難をはじめた児童と教職員を一気に襲ったのです。
最初に避難したグラウンド。塩水がかかって赤茶けて枯れている裏山の杉の木から津波の高さが分かります。
津波がコンクリートの壁を突き破ったホール。
津波に押し流されて跡形もない体育館があった場所。つながる通路の支柱も薙ぎ倒されています。
津波は2階の教室を超えたそうです。
地震や津波の破壊力が分かります。
当時,捜索状況の写真が貼り出されていた掲示板。
校舎裏側に流されてきた音楽室にあったと思われるアコーディオン。
大川小学校は,被災時の迅速な判断と的確な避難を訴えています。
平成24年9月10日 情報教育担当撮影