東日本大震災について

東日本大震災について

決して忘れてはいけない出来事

 西暦2011年,平成23年3月11日(金)午後2時46分に起きた,東日本大震災から13年目の年を迎えています。地震の記憶も少しずつ薄らいできています。『天災は忘れた頃にやってくる。』東京大学物理学部教授であった寺田寅彦先生の名言が頭をよぎります。
 学校では,学級活動で地震からの避難の仕方を学習し,避難訓練も行っています。また,学級指導や理科,社会などで,防災教育も行っています。子どもを導く大人は,被災の可能性を確実に「意識」すること,「災害時はこうなる」という目を反らしてはいけない事実を知り,命最優先の迅速で的確な判断と指示を行うことが大切なことと考えています。東根市はとても災害の少ない暮らしやすい安全な土地です。また,海からも遠く津波とは無縁です。しかし,東根市が作成した「ハザード・マップ」には,白水川が氾濫した場合,大人の膝の高さまで浸水する可能性のある土地があることや,地震や大雨時に土砂災害が起こりやすい場所が学区内にあることを教えてくれています。東根市も災害とは無縁と言えないのです。災害から学ぶという気持ちを新たにするために,復興途中の被災地の様子を写真で紹介いたします。

東根市と友好都市関係を結んでいる,東松島市付近。

 

 マリンピア松島〔当時〕の水槽〔右上〕。水槽には「ここまで津波が来ました」の表示が。

 石巻市立門脇小学校。地震の後,火災の被害にも遭われました。

 職員室内も,被災した日のままのようでした。児童は全員,校舎裏の高台に避難して無事でした。〔現在は石巻小学校と統合し閉校しています。〕

 石ノ森萬画館も,旧北上川を逆流した津波によって被災しました。〔現在はリニューアルオープンしています。〕

  石巻市立大川小学校の,地震と津波の被害の様子です。自衛隊のみなさんが,がれきを片付けてくださいました。当時在学中の108名の児童の3分の2にあたる74名と,教職員10名が犠牲になりました。グラウンドから避難しようとした北上川にかかる橋の左側三角地帯。

 北上川を遡ってきた津波は,三角地帯に避難をはじめた児童と教職員を一気に襲ったのです。

 最初に避難したグラウンド。塩水がかかって赤茶けて枯れている裏山の杉の木から津波の高さが分かります。

津波がコンクリートの壁を突き破ったホール。

 津波に押し流されて跡形もない体育館があった場所。つながる通路の支柱も薙ぎ倒されています。

津波は2階の教室を超えたそうです。

地震や津波の破壊力が分かります。

当時,捜索状況の写真が貼り出されていた掲示板。

校舎裏側に流されてきた音楽室にあったと思われるアコーディオン。

 大川小学校は,被災時の迅速な判断と的確な避難を訴えています。〔平成24年9月10日 情報教育担当撮影〕