高崎小学校NOW11月

高崎小学校NOW11月

表彰朝会を行いました!

 大ケヤキ全国書道絵画展,東根市総合書道展,北村山子ども美術展,YBC本の森たんけん読書感想文コンクールで,優秀な成績を収めたみなさんが表彰されました。また,下記の展覧会で学校賞,団体賞をいただきました。

         学校賞 大ケヤキ全国書道絵画展 書道の部

         団体賞 東根市総合書道展

学校賞は,みんなのがんばりにいただいたものです。と,校長先生。

たいへんおめでとうございます。

オープンスクールを行いました♥

 本校の,小規模特認校制度に関心をお持ちになっている,たくさんのみなさんにご参加いただきました。

最初に,授業を参観していただきました。一人一人の児童にきめ細かな指導が行えるのが本校の特色の一つです。

英語の授業にも力を入れています。

地域のよさを大きく取り入れた授業も展開しています。

対話を重視した,英語の授業です。

続いて,東根市教育委員会より,小規模特認校制度について説明がありました。

最後に,地域の先生方が教えてくれる,放課後子ども教室をご覧いただきました。高学年は,ボール運動です。

低学年は,公民館の講堂でサーキット教室です。

中学年は,チアゴ先生,ジョーダン先生,ミッキー先生の3人のALTの先生と,楽しく英語のゲームを行いました。

 ご参観なされたみなさん,たいへんありがとうございました。小規模特認校と制度のよさをご理解いただき,本校に入学・転入なさる方がたくさんいらっしゃることを期待申し上げます。

水溶液をプロファイリング

 色やにおい,液性や乾固実験などを通して,目の前の水溶液の情報を集約して,食塩水,石灰水,炭酸水,塩酸,アンモニア水のどれかを特定していきます。

リトマス試験紙を正しく使う方法や,安全に調べる方法もしっかり学んでいます。今日の水溶液の正体は,石灰水でした。

5年生が平和について考え,学びました

 長崎ピースネットを通して,自身が長崎に1945年8月9日午前11時2分に投下された原子爆弾の被爆者でもある,清野定廣さんを講師にお迎えして,5年生が平和学習を行いました。

 清野さんのお話を聞いて,子どもたちには,国語で学習した「たずねびと」の綾さんと同じように,自分事として原爆の被害の悲惨さを目を背けずに理解しました。また,命を懸けて語り継ぐ清野さんの勇気に心を揺さぶられていました。そして,忘れることなく次の世代に受け継いでいかなければならないという使命感をもつことができました。

 清野さん,ピースネットのみなさん,たいへんありがとうございました。これからのご活躍をご祈念申し上げます。以下,長崎市の現在の風景と,原爆遺産の一部を紹介いたします。〔撮影 情報教育担当〕とてもきれいな長崎市内。

大きなガントリークレーンが目印,「大和型戦艦」2号艦「武蔵」も造られた,三菱重工業長崎造船所。後ろは稲佐山。

稲佐山から観た夜景。日本三大夜景の1つに数えられています。

出島。周りの海は埋め立てられていますが,扇形の曲面が認められます。

長崎平和公園の平和祈念像。

平和公園横にある長崎刑務所跡。原子爆弾の爆風で土台だけが残っています。

浦上天主堂と被爆聖人石像。

山王神社の一本鳥居。どうして1本になったのでしょうか?

原爆の被災から立ち直り,美しい街になったのは,長崎県民のみなさんの平和を誰よりも希求する力があったからこそです。

水が冷えて氷になるときの温度やようすを調べました

 試験管に水を入れて温度計を差し入れたものを,飽和食塩水と氷を混ぜたものを入れたビーカーの中に入れ,氷になるときの温度や,試験管の中の水のようすを観察し,1分ごとに記録しました。

 最初は,1分間に2〜3℃下がっていきました。ところが,0℃になると,温度が下がらなくなりました。試験管を取り出してみると,全部こおっておらず,氷になった部分と水の部分がまじっていました。0℃の状態はおよそ10分間続きました。

試験管の中の水は,全部氷になっていました。そのあと,氷点下1℃,2℃と下がっていきました。

 水は,およそ0℃で氷になり,全部氷になるとまた温度が下がっていくようでした。0℃は,水と氷がまじっている状態でとても不思議な感じがしたようでした。

「共生社会実現に向けた心のバリアフリー講演会」を5,6年生が受講しました

 東根市総合部総合政策課が企画したホストタウン推進事業「共生社会実現に向けた心のバリアフリー講演会」を5,6年生が受講しました。格子は,車いすバスケットボール男子日本代表 ヘッドコーチの,京谷和幸さんです。

 京谷さんは,「夢を持つことの大切さ」を教えてくださいました。プロサッカー選手になる夢を叶えた途端に,交通事故に遭ってしまわれたそうです。車いす生活を続けながらも,車いすバスケットボールに新しい夢を見出し,あきらめずに取り組んだ結果,4回ものパラリンピックに出場し,主将を務め,現在に到っています。

 聞いていた子ども達は,京谷さんの生き方にとても共感していました。そして,自分とは違う相手の生き方を尊重しなければならないことにも気付いたようです。京谷さん,東根市総合部総合政策課のみなさん,たいへんありがとうございました。